今回で京町家調査はとうとう!最終回となりました。私が調査に
加わったのは、昨年の10月からですが調査はそれよりももっと!以前から
始まっていたようです。

一昨年の10月からだと言うことなので、かれこれ1年と4ヶ月と言うこと
です。そんな以前から始まっていたんですね。それが1月で調査は終わりと
言う事で、最後に頑張っていっていました。

今回の調査は、「山科(やましな)」地区でした。山科と言うと何か思い出
しませんか?そうですよね。忠臣蔵で有名な所ですよね。

JR山科駅

山科駅2


【赤穂城を明け渡した後、内蔵助は親戚の進藤源四郎の世話で京都山科の家に
隠れ住み、江戸にいる同志と連絡を取りつつ、内匠頭の弟 浅野大学長広を立て
て主家の再興に努めました。しかし、幕府は翌元禄15年夏、大学に対して広島
藩お預かりを言い渡しました。

ここで浅野家の再興は絶望的となり、吉良家への仇討ち以外の道は消え去ったの
です。

内蔵助が隠棲した山科は、閑静で人目につきにくく、しかも交通便利な土地であり、
しばしば同志の会合も開かれました。この地に住みながら内蔵助は、敵の目を欺く
ため、祇園や伏見などで遊興にふけりつつ、着々と仇討ちの計画を進めていたので
す。】


と言う因縁のあるところです。ここには旧東海道なども通っていて、結構古い街並
みが残っている所でした。私が担当した場所は旧東海道からまだずっと!南の方へ
行った「奈良街道」沿いでした。奈良から京都へ続く街道のようですね。
とっても古い街並みがありました。

だけど!残念なのは昔の古い街道なので、道が狭くなっていてそこを行きかう車と
バスで人間が歩けないくらいでした。調査をしていても背中のすぐ後をバスや車が
通り過ぎていきます。命がけ?でしたね。

それさえ除けばとってもよい街並みで、感じのよい家がかなり残っていましたよ。
なので今回は写真を写してきました。ご覧頂きましょうね。

タクシーで調査区域まで行き、さ~あ!調査の始まりです。
このような感じで調査をしています。この中に私が入って3~4人一組となって
調査をしています。

町や調査中

出格子がいいですね~

町家1

屋根の上に空気抜きなんでしょうか、何とも言えない風情のある物でした。
アップにした所と、離れたものを写しました。

空気抜き?

玄関の松?が良いですね。屋根の下にある壁の切れ目は一体何をする
物でしょうね。でも、いいですね。こんな家が多かったですよ。

町家1-2

重厚な感じがまた!良いですね~

町家1-3

やはり!屋根の下の・・・・

山科4-1

山科5-2

玄関がドッシリとしているのに、中の家は対照的な近代的な家ですね。
アンバランスが良いですね。

山科6-3


山科7-4

やっと!調査も終わり、ホッとして道端で目に付いたスイセンの花でした。

途中のスイセン

この花が私の疲れた頭を優しくしてくれました。(^-^)


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2010.01.31 / Top↑
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